2023

/d

2023-165 LGBT

titled

言はゆる ‹LGBT›.
文字通りには lesbian, gay, bisexial, transgender のこと.
最初の3個は同性に (も) 性愛する人として纏められるので冗長である.
美しい表現ではない.
我れはより自然な ‘性的少數者’ の詞を使ふ.

文字通りの意味でない, 人權運動としての LGBT に共感する.
若くして孤立し不安を持つ性的少數者が, ‹LGBT› の文字列や虹色の旗の許で心の強さを得らるなら, 全く素晴らしい.
我れはその許に積極的に留まらまいが, そこに敵有る時は友軍たりたい.

‹Q› を加へた LGBTQ の方が好ましい.
竝べられた有限の文字に縛られず, 統べての性的少數者と連帶する意思が見らる故に.

‹LGBとTは分けるべき› なる言明に反對する.
なるほど文字通りに見ばLGBとTは異なる概念である.
しかし同性愛者の運動がtransgenderを (そして黑人を) 排除し, 異性愛者への媚びに墮した時代を反省せよ.
弱者は別の弱者を強者への供物とするのでなく, 連帶せねばならぬ.

‹LGBTとP (小兒性愛者) は異なる› なる言明に反對する.
これは先の段落と同じ議論である.
差別者はLGBTへの攻撃にPを用ゐ, 子らを守れと言ふ.
だから何だ?
そこでPを切り捨てて差別者に阿るならLGBT運動に價値は無い.
同性愛者とは同性を性的に加害する者のことならず.
小兒性愛者とは小兒を性的に加害する者のことならず.
指向と嗜好の恣意的な分斷に注意せよ.

我れは單なるcisgender同性愛者であり, transgenderたるの意味を知らぬ.
身體違和の一種と理解するが, それのみならぬ含意が有る樣でもある.
transgenderの概念の理解にはしかし餘り興味が無い.
差別者はそれが虛構の概念であると主張するがその樣な言明にも興味が無い.
重要なのは, 必要も無いのにこの社會は人を見ば男か女かに分けずに居られない構造に溢れ, それに苦しむ人が居ると言ふ事である.
それを無くならしめむとする人が居るなら我れは仲間である.

2023-175 自殺

titled

他者が不幸から自殺を試みる時にそれを止めて良いのは

  • その不幸を帳消しにする能力を有する人
  • その不幸よりその人が死ぬことに因る己が不幸を優先する, 利己的な戰ひをする覺悟の有る人
    のいづれかである.
    言ひたいことはこれだけなのだが, それだと文章に成らないので以下は無關係の蛇足である.

我はDavid Benatar流の反出生主義を信ずる.
人には不幸な人を作らない義務が有るが, 幸福な人を作る義務は無い.
從って人は人を再生産すべきでない.

つまり彼らは, めいっぱい弾が込められた銃で、ロシアンルーレットをしている——勿論その標的は、自分自身の頭ではなく将来生まれてくる自分の子供の頭なのだ。
(生まれてこないほうが良かった——存在してしまうことの害悪)

他方, David Benetarは自殺を惡だと斷ずる.
始めるに價しない生は, 續けるに價しない生では必ずしもないと言ふ.
我はこれを疑ふ.
存在が苦痛を齎すとして, 始めから存在しないことが最善だが, 存在して了ってからも苦痛を減らす手段が有るのに取らない理由は無い.
David Benetarは, 退屈だから見始めるべきでない映畫は, 退屈だから見るのを中止するべき映畫ではない (後者の方が基準が嚴しい) と言ふが, いや中止して良かろと思ふ (譬喩への反論は本論への反論たり得ないのでこれはただの感情的記述である).
これを反出生主義に對し親自殺主義と呼ぶらしいが, こちらは文獻で學んだことが無く, 直觀でしかない.

また、死はわれわれにとって何ものでもない、と考えることに慣れるべきである。というのは、善いものと悪いものはすべて感覚に属するが、死は感覚の欠如だからである。
(エピクロス——教説と手紙)

ここからは文獻に依らない獨自の思考である.
上で述べた善惡は, 生や死を經驗する人の視點に限った物であった.
世界全體だとどうか.
總體としての人類には自身を絶滅させる義務が有り, またその能力を持たない非人類を絶滅させる義務も有ると我は信ずる (動物解放思想).
これを達成するには, 生の苦痛を悟った人のみが生殖を回避したり自殺したりしても逆効果である.
寧ろ, 人類が任務 (計劃的絶滅) を遂行し, それまで存續する方法を探る爲に生き生かす必要が有る.
我はこれが, 苦痛に滿ちた生を他者に強いることの正當化の一つ (他は發見して居ないが) だと信ずる.

我は, 反出生主義を絶對の眞實だとは思はない.
さならぬ人を輕蔑もして居ない.
素朴に現狀を表現すれば以下と成る.
我が頭腦では反出生主義が眞としか思はれない.
叶ふなら我も人の生と種の存續を祝福したいが, その爲の理窟を發見して居ない.
生を祝福する世の人人よ, 汝が汝を納得させた樣に我をも啓蒙してくれ!
勿論David Benetarの主張にはかなり活潑な反論と再反論が有るのでそれを調査すれば良く, 怠惰が最大の敵である.

2023-176 ペルソナ5 ザ・ロイヤル

titled
⚠️SPOILER

«ペルソナ5 ザ・ロイヤル» を完了した.
感想を亂雜に列べる.
ここで書く事は我が望みであって開發への要求ではない (近頃は讀み手を信賴して要らぬ註釋を省くにも勇氣が必要だ).

UI (と言ふか, 畫面に置かれた情報の統べてと言って良い) の良さは今更語るまでも無い.
とにかくどの畫面を開いても滑らかな animation が目を引く.
操作性も惡くなく, 戰鬪は速やかに進めらる.
雨の日の傘樣の畫面遷移が氣に入り.
ただ, これだけ勞力を費やしても慣れて飽きて了ふと言ふことが恐ろしい.
總攻擊が飛ばせないことが後半は負荷だった.

音樂. とても良い.
歌有りのBGMをかくも多用して, 疲れないどころか上がりまくるとは.
«Rivers in the Desert» が氣に入り.

物語り. 最終の敵は獅童正義なる大衆主義の權化と, それを支持する無氣力な, Jean-Paul Sartre の言ふ自由と言ふ刑から逃げる群衆である.
怪盗團は超自然的な力 (ペルソナ, パレス潛入, …) と築いた人間關係 (coop) に因ってそれを打ち破り群衆を味方につけるわけだが, ここで群衆は餘りにも愚かではないか?
結局群衆は獅童正義と怪盗團の間で揺れ動いて居るだけで, 何も理解しては居ない.
刹那的な趨勢に乘るだけである.
怪盗團が姿を消した後で何度も同じ過ちを繰り返さう.
この未來が透けて見え, 提供される一時的な應報に滿足しない.

←はclear前に書いたのだが, P5R追加分を遊ぶと草の根民主主義っぽい思想が見えて良かった.

P5R追加要素らしき3學期は良い.
眞實のみが價値を持つし, 人はいつでも遣り直せるべきだと信ずるので.

ここから減點箇所.

game 全體の情報量が多すぎて疲弊する.
もっと coop を減らし, 一年の内 飛ばす日が有って良い.

主人公, 坂本竜司, 喜多川祐介に好ましい感情を抱きながら game を進めたし, 開發もそれを意圖せむに (嫌はせる爲の描寫はほぼ無い), 3人が雨に濡れた高巻杏の肉體をじろじろと見る描寫は意味が不明だった.
面白いとか昂奮するとかを想定したのかも知れないが, 實際のところ我が好むcharacterにこんな事をさす開發を少しく嫌ふのみだ.

かなりの數の coop があり, その中でまたかなりの數の戀愛を實行し得るのだが, 男相手の物は一つも無い.
この game で出て來る同性愛 (もっと廣く性的少數者と言っても良い) への言及は, 新宿で坂本竜司に言ひ寄る典型的なおねえと, 井の頭公園で小舟に乘る主人公と喜多川祐介が戀人と勘違ひさる事のみであり, どちらも諧謔, 揶揄である.
この game の主題は社會に周緣化された人人の連帶であり, gay を出すには申し分無い設定だ (勿論, gay を出すのに必要な設定など無いが).
また coop の戀愛要素は, パレスなどに比べれば實裝に大きく勞力が掛かる物ではない (3D animation が無くても良く, 文章で一言有ればこちらは滿足なのだ).
gay が居たら嬉しいと言ふ個人の嗜好の話しでも當然あるがそれ以上に, 居ないのが不思議であり, 他の條件が不思議さを惡意の疑ひにまで格上げする.
開發に同性愛への惡意が有る確率は高いが斷言するには至らないので, いつか producer あたりが語ることを期待する.

男も女も食ひ散らかす全性愛者の主人公を見たいし, 竜司と二人で2/14を過ごしたいよ.

2023-313 人間への絶望

titled

毎日の生活が, 人類が良くなることなど無いのだと我に感じさせる.

それがnaïveな思考なのは自覺してゐる.

進歩はいつでも巨視的な視界にだけ現れる.

それでも, ではいつになれば世界はましになる? と叫びたくなる.

大規模なものでは たとへば戰爭.

今まさに中東では極右の政治家と極右の武裝組織が虐殺し合ってゐる.

(當初は歷史を一旦 脇に置いてisraelの正當防衞と認識してゐたが, 今や我はisraelに正義を見ゐだしてゐない. 反islamの同性愛者の我が!)

それを支持する民衆も居る.

そしてUkraine.

平和な日本の人たちはもうRussiaの非道に慣れ, 怒りと哀れみを持つことに飽きてしまった.

統べては生活への刹那的な刺戟に貶められる.

規模を小さくして例へば殺人.

Panamaの狂人が示威者を
射殺した.

Twitterの日本語圏では, tabloid紙を信じ込み煽動者に流されながら自身を冷静と信じ込む, 殺人者を稱揚する人たちが溢れた.

有り來たりな言ひ方だが人の命はそんなに輕かったか?

現實と虛構の區別は附いてゐるのか?

一線を越えたかも知れないと感じた.

もっと小規模なものではYouTubeのcomment欄.

昨日YouTubeで市川沙央さんに關する動畫を見た.

(«ハンチバック» は良い文章だった.)

障碍を揶揄したり受賞が不公平であるかの樣なcommentを目にした.

我は障碍者に對して莫迦にしたいと言ふ感情を持ったことが無い (内心を隱す冷静さが有るとかではなく, 最初から思はない).

だからそれを敢へて書く人間を理解しない.

一方で稱讃する人間も優越感を持った樣な, 苦勞を哀れむ目な差しが氣色惡い.

個人に點を附けて一喜一憂するのでなく, 誰もがもっと平坦な心で社會を良くすることだけ考へられないか?

(規模が小さく身近なものにほど ことばを多く使ってゐる. それは我もまた己の周りしか見てゐない くだらない人間なることを示す.)

internetをやめろとは良く言ふ.

だがinternetを見なくても醜惡な人間は現に存在してゐる.

今日すれ違った人が, 昨日 産経新聞の反transgender的な記事をretweetした確率は無視せらるほど低くない.

どうすれば良い?

寄附をする, 投票する, そんなことは言はれなくともやってゐる.

(政治活動はもっと努力の餘地が有るが.)

もっと世界ががらっと變はってくれないか.

(神を信じたら樂だったのかも知れない. しかし我は神を信じない我を誇る.)

博愛主義の, 新たなAdolf Hitlerが現れたら我は支持してしまふかも知れない.

それが怖い.

このエントリーをはてなブックマークに追加