/d/2023

2023-175 自殺

他者が不幸から自殺を試みる時にそれを止めて良いのは

のいづれかである.

言ひたいことはこれだけなのだが, それだと文章に成らないので以下は無關係の蛇足である.

我はDavid Benatar流の反出生主義を信ずる.
人には不幸な人を作らない義務が有るが, 幸福な人を作る義務は無い.
從って人は人を再生産すべきでない.

つまり彼らは, めいっぱい弾が込められた銃で、ロシアンルーレットをしている——勿論その標的は、自分自身の頭ではなく将来生まれてくる自分の子供の頭なのだ。
(生まれてこないほうが良かった——存在してしまうことの害悪)

他方, David Benetarは自殺を惡だと斷ずる.
始めるに價しない生は, 續けるに價しない生では必ずしもないと言ふ.
我はこれを疑ふ.

存在が苦痛を齎すとして, 始めから存在しないことが最善だが, 存在して了ってからも苦痛を減らす手段が有るのに取らない理由は無い.
David Benetarは, 退屈だから見始めるべきでない映畫は, 退屈だから見るのを中止するべき映畫ではない (後者の方が基準が嚴しい) と言ふが, いや中止して良かろと思ふ (譬喩への反論は本論への反論たり得ないのでこれはただの感情的記述である).
これを反出生主義に對し親自殺主義と呼ぶらしいが, こちらは文獻で學んだことが無く, 直觀でしかない.

また、死はわれわれにとって何ものでもない、と考えることに慣れるべきである。というのは、善いものと悪いものはすべて感覚に属するが、死は感覚の欠如だからである。
(エピクロス——教説と手紙)

ここからは文獻に依らない獨自の思考である.

上で述べた善惡は, 生や死を經驗する人の視點に限った物であった.
世界全體だとどうか.
總體としての人類には自身を絕滅させる義務が有り, またその能力を持たない非人類を絕滅させる義務も有ると我は信ずる (動物解放思想).

これを達成するには, 生の苦痛を悟った人のみが生殖を回避したり自殺したりしても逆効果である.
寧ろ, 人類が任務 (計劃的絕滅) を遂行し, それまで存續する方法を探る為に生き生かす必要が有る.
我はこれが, 苦痛に滿ちた生を他者に強いることの正當化の一つ (他は發見して居ないが) だと信ずる.

我は, 反出生主義を絕對の眞實だとは思はない.
それを信じぬ人を輕蔑もして居ない.

素朴に現狀を表現すれば以下と成る.
我が頭腦では反出生主義が眞としか思はれない.
叶ふなら我も人の生と種の存續を祝福したいが, その為の理窟を發見して居ない.
生を祝福する世の人人よ, 汝が汝を納得させた樣に我をも啓蒙してくれ!

勿論David Benetarの主張にはかなり活潑な反論と再反論が有るのでそれを調査すれば良く, 怠惰が最大の敵である.`