2023-234
人物


本文
「最近は何してるんですか?」
土曜の晝過ぎ、まばらに日の差す喫茶店の一角で冬見は何と無しに尋ねた。
今日冬見は硯を(他の多くの土曜と同樣に)連れ出し、驛前に來てゐた。
目的の服屋を一通り浚ひ(そうして硯に合ふ服を探し)、書店の新刊を漁り、今は少しく足休めをしてゐる。
んー、と硯は顎に手を遣り數秒置いて答える。
「何ってほどのことも無いかな。研究室で論文を進める、歸って小説を讀む、盈と出掛ける。」
硯が無表情に答へて祁門を一口含む。冬見がにんまりと笑ふ。
慕ふ先輩の生活の主要な登場人物となることは、彼の飼ひ慣らされた獨占欲を滿たすに過分であった。
「倫君はいつもそんな感じですね。どんな本ですか?」
「『Diaspora』」
「Egan?」
「Egan」
硯がchocolateを口に運ぶ。甘い。
「物理ーって印象で手を出したこと無いです」
「い」を伸ばして冬見が言った。
「『Diaspora』はそうでもない。盈も樂しめると思うよ。薦める」
「倫君の薦めなら讀みましょう。外れたこと無いし」
一個ください、と冬見が言ふ。硯がchocolateを摘まみ腕を伸ばして口に運ぶ。脣が僅かに指先に觸れる。
「んむ、おいしっ」
冬見の彈む表情が硯の頰を緩ませる。この素直な後輩を硯は好んだ。
穩やかな空氣に心身が弛緩する。目を閉ぢ彼の立てる細やかな茶器の音に耳を傾ける。
「さっき話した本、今日借りに往って良いですか?」
「うん」
盈は恐らく深夜まで映畫でも見てから泊まって往くだろう、と經驗から豫想しながら硯は頷く。
彼の高めの體溫を思ひ出して、表に見えぬ程度の高揚を覺える。
——幾らか時間が經ち、硯が最後の杯を干した。
「そろそろ往こうか」
「はい」
會計して店外に出る。眩しい日に手を翳す。
殆どの時間を家か研究室に籠もって過ごす硯は明るさに弱かったが、それを嫌ふわけでもなかった。
あたたかいものは好きだ。
「往きましょうか」
舗裝路を家に向かって歩く。冬見が硯の手を握り、硯がそれに應ずる。
五月の風が硯の髮を撫ぜた。
土曜の晝過ぎ、まばらに日の差す喫茶店の一角で冬見は何と無しに尋ねた。
今日冬見は硯を(他の多くの土曜と同樣に)連れ出し、驛前に來てゐた。
目的の服屋を一通り浚ひ(そうして硯に合ふ服を探し)、書店の新刊を漁り、今は少しく足休めをしてゐる。
んー、と硯は顎に手を遣り數秒置いて答える。
「何ってほどのことも無いかな。研究室で論文を進める、歸って小説を讀む、盈と出掛ける。」
硯が無表情に答へて祁門を一口含む。冬見がにんまりと笑ふ。
慕ふ先輩の生活の主要な登場人物となることは、彼の飼ひ慣らされた獨占欲を滿たすに過分であった。
「倫君はいつもそんな感じですね。どんな本ですか?」
「『Diaspora』」
「Egan?」
「Egan」
硯がchocolateを口に運ぶ。甘い。
「物理ーって印象で手を出したこと無いです」
「い」を伸ばして冬見が言った。
「『Diaspora』はそうでもない。盈も樂しめると思うよ。薦める」
「倫君の薦めなら讀みましょう。外れたこと無いし」
一個ください、と冬見が言ふ。硯がchocolateを摘まみ腕を伸ばして口に運ぶ。脣が僅かに指先に觸れる。
「んむ、おいしっ」
冬見の彈む表情が硯の頰を緩ませる。この素直な後輩を硯は好んだ。
穩やかな空氣に心身が弛緩する。目を閉ぢ彼の立てる細やかな茶器の音に耳を傾ける。
「さっき話した本、今日借りに往って良いですか?」
「うん」
盈は恐らく深夜まで映畫でも見てから泊まって往くだろう、と經驗から豫想しながら硯は頷く。
彼の高めの體溫を思ひ出して、表に見えぬ程度の高揚を覺える。
——幾らか時間が經ち、硯が最後の杯を干した。
「そろそろ往こうか」
「はい」
會計して店外に出る。眩しい日に手を翳す。
殆どの時間を家か研究室に籠もって過ごす硯は明るさに弱かったが、それを嫌ふわけでもなかった。
あたたかいものは好きだ。
「往きましょうか」
舗裝路を家に向かって歩く。冬見が硯の手を握り、硯がそれに應ずる。
五月の風が硯の髮を撫ぜた。